HOME ごあいさつ ロルフィングとは 腰痛になったこと 歩くということ PROFILE お申し込み TOWER 過去の掲載誌から

生涯一染織 ずっと野球部 放浪癖 魂音楽館 LINK  不滅のNOBICYOUTH(ブログ)

サーフィンへの憧れ

初めて勤めた会社にサーファーの上司がいました。その人の自由さ(社内でのポジションや仕事内容など含め)に憧れて、サーフィンをやってみようと思いました。なんだかサーフィンは自由の象徴に思えたのです。
ガソリン代を節約するために会社の車でよく行きました。千葉の鴨川や和田、茨城だと阿字ヶ浦、大洗、鹿嶋、湘南は辻堂あたりが、始めたころのスポットでしたが、阿字ヶ浦は大規模な港湾工事で大きく地形が変わってしまい、今はめったに波が立たなくなりました。
あれから10年以上、仕事や住まいが変わっても、サーフィンはやめられませんでした。それどころか、いい波に乗りたい気持ちがロルファーになる決意を後押ししていたかもしれません。

今までで一番印象に残っているサーフトリップは、2004年11月の宮崎5日間です。そのうちの三日間を抜粋しました。

Day 1/スカイネットアジアの午前便で宮崎上陸。後輩の伊藤君は初宮崎体験。着陸直前の機内から、空港ポイントにとてもいい波を見つけて、期待が膨らむ。
友人の深江君の実家で軽トラを借り、木崎浜からチェック、やたらアウトで割れるエキスパートオンリーのオーバーヘッドに早くもビビる。南下してやや小さめのこどもの国で入るがダンパー気味。飛行機から見た空港横のポイントへ。ここはアクセスがわかりずらく、なぜかゴルフコース内を通っていくことになるが、軽トラのおかげで場内整備の車に見えるし、問題なし。
空から見るより超ハード。ゲットもつらいが、波はノースかウルワツか(どちらも入ったことないけど)ってなもん。ダブルできれいに割れて、スタンディングチューブ決めてるやつらばかり。一本もまともに乗れず終了。北上して一つ葉を目指すがわからず、手前のサンビーチで波を発見。小さい入り江の人口ビーチで、胸〜肩の速いグーフィーオンリー。何本か面白かった。
五時アップして日向の深江宅でビールや焼酎(黒霧島)、地鶏のタタキや焼きなどをごちそうになって、満腹。

美々津Day 2/ししゃもと納豆の朝食を頂き、七時すぎ出発。小倉浜でトロ厚めの波だがレギュラーがまあ良し。昼時南下して美々津を見たらナイスグーフィーがあるので、日向灘でチキン南蛮とカニコロッケ定食。ワックス塗って美々津にin。サイズは平均胸くらいのセット。岸まで乗れば推定150m。ミドルセクションからはさらに加速。夕方五時まで俺たち二人。こんな嘘みたいな話ってある?
明日に備えて五時終了。国道沿いの風呂屋に入ってから、ダイエーで食材を買い込み、こどもの国Pの海辺のベンチで鍋。鶏の水炊き。2ラウンド目で公園の明かりが消えて強制終了。夜のうちに大浦へ移動。空き地でテント張って就寝。夜中用足しのために外に出たら、星満開。そのボリュームに圧倒。

Day3/七時起床、すでにハイクオリティなグーフィーが炸裂。我々含め海には四人。ピークからのドロップ感が、どこにでもある波とは一線を画している。だんだん人も増えてきたけど、きっちり波をまわすルールがあるようで、自然と順番待ちの列があるものだから、なおさらプレッシャーがかかる。外人二人組が来て、さらに沖でハイパーセッションを展開。オーバーヘッドのホローウェイブであんな垂直リップは見たこと無い!まさになんじゃこりゃ大福!(宮崎銘菓)
後続のローカルらしきサーファーたちも競って技を披露。あとでわかったのだが、外人二人はマロイ兄弟で、ローカルと思っていたサーファーは雑誌の特集にあわせて六人のプロサーファーが集まっていたのでした。

マロイ兄弟のライディング大浦